はじめに
不妊治療においては、男性不妊症の治療がなかなか思うようにいかないことが多々あります。そして、男性不妊治療がうまくいかないと、男性側の精神的負担感や、パートナーとの関係性の問題、性機能の低下が問題となることがあります。特に無精子症は男性不妊症の中で最も深刻な状態です。精液の中に、精子が出ていない状態のことで、自然妊娠することはありません。100人に1人は、このような状態の方がいるとされ、決して珍しいことではありません。さらに無精子症のためTESEという精巣から精子を取り出す手術をしても精子が採取できなかった方は、自尊心やパートナーとの関係性、性機能に関して大きな影響があるといわれています。
不妊症と診断された方の心理的負担
まずは、男女ともに不妊症そのものの心理的負担を解説します。
不妊症は男女ともに多大なストレスをもたらします。ストレスが過度になると、抑うつ状態となりますが、研究によると不妊は抑うつ状態を引き起こす可能性があります。
不妊症という状態は、男女ともに以下のような理由でストレスを感じ、それによって抑うつ状態になることあります(参考文献1)
- 家族や友人、社会からの期待やプレッシャー
- 自分の価値やアイデンティティーに対する疑問
- 不妊に対するスティグマや孤立感
- 不妊治療の費用や時間、副作用などの負担感
うつ病になると、性欲や精液所見の低下など、不妊に関連する問題がさらに悪化する可能性があります。
不妊とうつ病の両方に対処するには、以下のような方法があります(参考文献 1)
- 専門家に相談する。不妊治療の専門医や精神科医、心理カウンセラーなど、あなたの状況に合ったプロフェッショナルに助けを求めることができます。
- サポートグループに参加する。不妊やうつ病に悩む人たちと話すことで、自分が一人ではないと感じたり、共感や励ましを得たりすることができます。
- 健康的な生活習慣を維持する。適度な運動、バランスの良い食事、十分な睡眠、リラクゼーションなどは、身体と心の健康に役立ちます。
- 趣味や楽しみを見つける。自分の好きなことや興味のあることに時間を割くことで、ストレスを軽減したり、自分の価値を高めたりすることができます。
- パートナーや信頼できる人とコミュニケーションをとる。不妊やうつ病に関する感情や考えを共有することで、理解や支えを得たり、関係を強化したりすることができます。
不妊治療を受けた男性の心理的、社会的負担感、そして性機能に対する影響について
次に男性不妊に的を絞っていきたいと思います。ここでは、男性不妊治療を受ける男性に影響を与える心理的、社会的、および性的な課題についてのシステマティックレビューがありましたので、その内容を紹介します(参考文献2)
このレビューは、男性不妊治療において男性に及ぼす心理的、社会的、および性的な負担、および実際の臨床における患者のニーズについて過去の論文12本のまとめとして2023年に報告されました。以下はその要点です。
- 心理的評価: 泌尿器科手術は不妊特有のストレスに持続的な影響を与える可能性があり、治療の失敗はうつ症状、悲しみ、自己評価の低下を引き起こすことがある。
- 対処: 男性は全体的に不妊症に対するコーピング(coping)(ストレスに対処するための行動)を起こさない傾向にある。治療の結果が思わしくないと、不妊治療全体を避ける傾向があり、それに伴って自尊心、関係性の低下、性的機能の低下が起こりうる。
- パートナーシップ: 相互サポートとコミュニケーションにより、パートナーの絆は強化される。一方で、男性不妊が重症だった場合は、不妊治療の中止、さらに離婚が危惧される。
特に非閉塞性無精子症に対してTESEが実施されたが、不成功に終わった症例の自尊心、性機能の低下、パートナーシップが損なわれるリスクなど、彼らの今後の人生における負の影響は大きいと報告されています。私見ですが、このような結果が、鬱をもたらし、さらには現実に対するコーピングが起こりにくい状態になり、なかなか立ち直れない方もいると思います。
この論文では、そのような、重度の男性不妊で治療がうまくいかなかった方達に対して、医師や臨床心理士などの同僚(ヘルスケアチーム)が心理的なサポートを行い、不妊治療におけるwell-beingを担保することが、重要であると結論づけています。
不妊治療を進めていくと、女性の診断及び治療が主体となり男性はどうしても、隅に追いやられてしまう現象が起きます。不妊治療における男性不妊患者の心理的負担感はこのような疎外現象からも起こっており、それに対しては男性不妊の専門家(主に男性不妊診療に従事する泌尿器科医)の働きかけによって、男性患者の心理的負担が軽減するということです。
これらの結果から、望ましい臨床像として、重度の男性不妊症の場合には定期的な心理的評価が必要で、特に手術治療が失敗した場合には、男性だけではなく、カップルに対する心理学的なサポートが必要であることが明らかになりました。
TESE不成功例に対するEsolveの取り組み
不妊症と診断されても、現在の医療は日々発展しています。日本での不妊治療は保険制度が導入され、多くの人に生殖補助医療の門戸が開かれました。したがって現在の日本の状況は、諸外国と比較しても恵まれていると思います。しかし、無精子症、特に非閉塞性無精子症に関しては、現在の医学をもってしても思うような結果に至らないことも多いというのが現実です。
私は男性不妊を専門としている泌尿器科医ですが、日々無精子症の診断や治療が患者さんのニーズを満たせていないことがあるため、精神的な葛藤も医療者側として感じていました。このような現状を踏まえて、解決策は何かを考えていましたが、私がやっているカウンセリングという活動を通して、TESEという手術の結果がどうしてもうまくいかなかった場合にも、適切な術後フォローが出来ると思いました。
具体的には、紹介したレビューで指摘があった、手術不成功例の心理的なケアやカップル間の関係調整を道場カウンセラーと共に進めていくつもりです。もちろん、子供を諦める方のほか、精子提供や養子縁組をお考えになる方もいるとは思いますが、すべてのカップルを対象にします。自分の遺伝子を残せないという点においては、一種のグリーフケア(喪失対する悲しみへのサポート)になると思います。手術がうまくいかなかった方、そのパートナーも含めて、今後の人生を改めて考えて再構築するコーピングの作業をお手伝いできたら幸甚です。
参考文献
1. How Infertility and Depression May Influence Each Other. https://www.medicalnewstoday.com/articles/323557